井戸の島『佃』


井戸人 御厩長屋の二つ井戸 飲めない井戸 最後の将軍の井戸 妻恋坂の井戸
谷根千 墓参記録

■投稿ギャラリーに、最初に掲載して頂いた私の映像は2004年に撮影した『佃島の井戸ポンプ』でした。 実はこの撮影の際、もう一基、大切にされている現役の井戸に出会っています。
 隅田川河口(地下水位も高いはず)にあり、伝統を大切に守っている地域。 以前から、ここではもっと多くの井戸に出会えるかもしれないと思っていました。
1月4日、お散歩カメラをぶら下げて出かけました。4度目の佃です。


 以上です。 ほぼ同じ時期に、mootsukaさん が、もっとたくさんの井戸を撮影されているようです。続きは是非そちらを。
 1月4日の朝に思い立ち、スーパーひたちに飛び乗りました。愛宕に井戸を探し、佃に着いたのは
3時、時間が短すぎました。 でも、
「ほら井戸だよ。ポンプ押してみな! おばあちゃんの子供の頃はね...」
「佃、いいとこだよ。え? 水戸から来たの? 嬉しいね。 ゆっくり撮ってって!」
チャキチャキの江戸弁と人情。すてきな一時でした。


 さて、なぜこんなに佃に井戸が大切に残されているのか、考えてみました。なにかを調べたわけではありません。あくまで私見です。
 摂津の国から家康と一緒に江戸に下った三十三人の漁師達、水には苦労したのではないでしょうか。白魚の住む隅田川もこの辺はおそらく汽水域。 飲用に耐えるよい水の出る井戸は限られたのではと思います。神田上水がここまで届くはずもなく、佃の人達にとって水はかけがえのないものであり、井戸は命の綱だったのでしょう。
 ですから、水道が引けた後も、飲用は水道、雑用水は井戸と水を大切にする文化が培われたのだと思います。そして、江戸開府以来の共通の祖先と文化を持つ住吉神社の氏子連の島。そんな風土が、水を井戸を大切にする文化を絶やすことなく、今日まで伝えて来たのではないかと考えるのです。


2008.1.5 (1.6追補)




【追伸】 佃の子供たち

04年11月 撮影


END